但馬牛 牛将|地元『但馬牛』を全国にお届け。和牛のふるさと、兵庫県のお肉屋さん

1:但馬牛とは

兵庫県産の黒毛和種の和牛。日本三大和牛の素牛もとうし。和牛の中でも最高級とされる。

生きている但馬牛を(たじまうし)と呼び、お肉の状態になった但馬牛を(たじまぎゅう|但馬ビーフ)と呼びます。

日本が世界に誇る絶品グルメの一つ「和牛わぎゅう」。
その中でも特に高品質とされる3つの銘柄「神戸ビーフ」「松阪牛まつさかうし」「近江牛おうみぎゅう」。
この日本三大和牛と呼ばれる銘柄牛肉の素牛もとうしが和牛最高峰といわれる「但馬牛たじまうし」です。
日本三大和牛の他にも米沢牛・宮崎牛・飛騨牛・佐賀牛・前沢牛・仙台牛・鹿児島牛などのブランド和牛は、兵庫県内の牛市うしいちから仕入れた但馬牛たじまうしの子牛を素牛もとうしとして肥育や改良が行われた黒毛和牛であり、現在では、全国の黒毛和牛の99.9%が、但馬牛たじまうしの血を引いていると言われています。

但馬牛品評会の様子

2:但馬牛たじまぎゅうと神戸ビーフの関係

但馬牛たじまぎゅう(但馬ビーフ)=神戸ビーフ。
但馬ビーフの中からさらに厳選された牛肉だけが『神戸ビーフ』と言うブランド名を付けることが許されます。

神戸牛という生きた牛は存在しないことをご存じでしょうか?
神戸の街なかで牛を飼っているのを見たことがありませんよね。
『神戸ビーフ』とは兵庫県産の但馬牛たじまぎゅうの中でも日本一厳しい審査基準をクリアしたお肉のみが付けることの出来るお肉のブランド名なのです。
兵庫県以外の地域では、他県や海外の牛との交配で品種改良が行われている中、但馬牛たじまうしは日本でも唯一、県外や国外の牛を交配していない純血の黒毛和牛です。
神戸ビーフのブランドを名乗れるのは、純兵庫県産のお産経験のない雌牛めすうし、もしくは睾丸を除去した雄牛おすうしのお肉であり、一頭あたりから牛肉の取れる量を表す歩留等級ぶどまりとうきゅうがA・B等級以上、霜降りの度合いなどを評価する肉質等級が4以上、霜降りのランクを12段階に分けたBMS値がNo.6〜No.12に選別されるもの等、世界一厳しい基準を満たした但馬牛たじまぎゅうだけが神戸ビーフを名乗ることができるのです。

3:A4、A5の神戸ビーフとは

歩留等級ぶどまりとうきゅう【高 A-B-C 低】生体から取れるお肉の割合が大きいほど等級が高くなる
・肉質等級【高 5-4-3-2-1 低】肉質が良いものほど等級が高くなる

牛肉のランクは歩留等級ぶどまりとうきゅうと肉質等級の2つで決まります。
お肉を選ぶときなどによく聞く『A5』や『A4』など、アルファベットと数字で表したものが牛肉のランクです。
アルファベットが歩留等級ぶどまりとうきゅうを表しており、生体から取れるお肉の割合が大きいほど等級が高くなります。【高 A-B-C 低】
数字が肉質等級を表しており、霜降りの度合いや色、キメの細かさ、脂の質などを総合評価したランクで、肉質が良いものほど等級が高くなります。【高 5-4-3-2-1 低】
つまり、A5と評価されたものが最高ランクの牛肉ということになります。
さらに、牛肉の価格を決めると言っても過言ではない"霜降り度合い"を12段階で表した数値をBMS値と言い、最高ランクであるA5の中でもさらに『A5のNo12』が最上級の肉質等級となるのです。
当店が取り扱う肥育牛はもちろんA4・A5ランクのお肉です。

『A4 No.6』以上の但馬ビーフに『神戸ビーフ』というブランド名を付けることが出来る。
但馬ビーフ=神戸ビーフなのです。

4:但馬牛たじまうしの歴史

豊臣秀吉公大阪城築城の際にも活躍した但馬牛たじまうし。もともと田畑を耕すために飼われていた役牛えきぎゅうです。

豊臣秀吉が建てた、あの大阪城。
1583年の築城の際には全国から力自慢の牛が集められましたが、その中でも小柄ながら力強く仕事をする但馬牛たじまうしが活躍し、大変有名になったそうです。
但馬地域の山間部で狭い棚田や畑を耕したり、荷物運搬のために飼われていた但馬牛たじまうしは古くからここで生活する人々と共にひとつ屋根の下で暮らし、愛情深く丁寧に育てられました。

夏は豊かな野草を食べ、険しい山道を行き来し、田畑を耕す役牛えきぎゅうとして働き、冬は降りしきる雪の中「まや」とよばれる寝床で大切に飼われ、寒い冬を越しました。

そのような厳しい環境、また谷間の閉鎖的な環境で交配が行われていく中で改良が進み、小柄で肉のキメも細かい黒毛和種の元祖が偶然に生まれたのです。
そして雪が3mも積もる但馬の厳しい冬を越すために、エネルギーに変えやすい融点の低いキレイな脂をたくわえることが出来る牛になっていったのだと言われています。
但馬牛たじまぎゅうの特徴は、旨みがあり、肉独特の臭みがないこと、サシの融点が低いことであり、炭水化物などを無理やり食べさせ肥育した「偽り」のサシとは大きく違います。
一般的な黒毛和牛の脂が溶け出す温度が約25度であるのに対し、但馬牛たじまぎゅう但馬玄たじまぐろの脂は約12度から溶け出します。
低温で溶け出す脂はサラサラでマグロの脂に近く、口に入れるとフワッと肉の旨味が広がり肉の甘味を感じます。

5:但馬牛たじまうしに人生を捧げた男達

質の良い牛を掛け合わせて血統を整理した前田周助。
名牛『田尻号』を生んだ田尻松蔵。

但馬牛たじまうしの歴史を語る上で、欠かせない人物が二人います。
但馬牛たじまうしに人生を捧げた2人の男達です。

前田周助まえだしゅうすけ

但馬牛たじまうしに人生を捧げた2人の男達、その一人が1798年に兵庫県香美町の小代区で生まれた前田周助まえだしゅうすけという人。
彼は、良い子牛は良い母牛から生まれる確率が高いことに気付き、植物のつるに同じ葉や実がつくように、母から娘、娘から孫とつながる家系に、代々よく似た牛が生まれることを発見します。
そして蔓牛つるうしの開発に一生をかけました。
また彼は、良い牛を造れば高く売れ、山間の村を豊かにできるという思いを持っていました。
そのために借金をしてまで良い牛を買い求め、血統整理を行ったすえに周助蔓しゅうすけづるという優れたメスの血統集団を生み出すのです。
そしてその周助蔓しゅうすけづるは現在の但馬牛の代表的なつるのひとつ「あつた蔓」の素となっています。

但馬牛たじまうし絶滅の危機

前田周助まえだしゅうすけのおかげで優秀な血統が整理され確立された但馬牛たじまうしでしたが、周助が亡くなった約30年後、明治時代の後半に但馬牛たじまうしが絶滅の危機に瀕します。
もともとは役牛えきぎゅうであった小柄な但馬牛たじまうしを外国産の牛と交配させて大型化し、食肉用に改良しようとしたことが失敗し、もう一度、純粋種の但馬牛たじまうしからやり直そうと気づいた時には、純粋種の但馬牛たじまうしがいなくなるという事態になったのです。
県内中を探し回り、ようやく見つけた四頭の純粋種あつた蔓の但馬牛たじまうし
この四頭はまさしく周助蔓しゅうすけづるの血統の但馬牛たじまうしでした。
そしてこの4頭を中心に、新しい血統の基礎作りが始まったのです。

田尻松蔵たじりまつぞう

もう一人、但馬牛たじまうしに人生を捧げた男がいます。
田尻松蔵たじりまつぞうです。
奇跡的に外国種との交配を免れていた四頭の純粋な但馬牛たじまうしの内の一頭『ぬい号』から、四代目の牛「ふく江」に田尻松蔵たじりまつぞうは出会います。
一目でその牛に惚れ込んだ田尻松蔵たじりまつぞうは多額の借金をして「ふく江」を購入し大切に育てました。
毎日欠かさず「ふく江」の手入れを行い、良い草を食べさせるために、山を切り開いて草地まで作ってしまうほどだったと言います。
そして、昭和14年「ふく江」の四番目に生んだ子牛が後に名種雄牛となる「田尻号たじりごう」でした。
田尻松蔵たじりまつぞうはこの子牛が良い種雄牛になると信じ、毎日の運動と手入れを欠かしませんでした。
牛を見る眼と日々の努力によって、田尻号たじりごうは生まれて半年後に兵庫県美方郡の種雄牛候補として認められ、現在の但馬牛の元祖となる第一歩を踏み出します。

田尻号は、種雄牛として使われた12年間で全国に1,500頭近い子牛を残しています。
現在のような人工授精の技術がない時代に、この優れた繁殖力は眼を見張るものでした。
また、肉質に関する遺伝的能力は特段に優れており、世界に誇る和牛肉の原点は、この「田尻号」にあるといっても過言ではありません。
田尻松蔵たじりまつぞうは「田尻号」を生産した功績が認められ、昭和30年に黄綬褒章を受章しています。
また「田尻号」の功績をたたえて建てられた顕彰碑には、次のように書かれています。
「この名牛が生まれたのは偶然ではない。自然的な要因と、人為的な条件が融合しなければ叶わなかった」と。

平成24年2月、社団法人全国和牛登録協会の調べで、但馬牛たじまうしについて驚くべき数字が明らかになりました。
全国の黒毛和牛の繁殖雌牛めすうしの99.9%が「田尻号」の子孫ということがわかったのです。
つまり、今後生まれてくる日本の黒毛和牛は例外なく「田尻号」の子孫ということになります。

これが「全ての和牛は“但馬”に通ず」と言われる由縁なのです。