1:但馬牛とは
兵庫県産の黒毛和種の和牛。日本三大和牛の
日本が世界に誇る絶品グルメの一つ「
その中でも特に高品質とされる3つの銘柄「神戸ビーフ」「
この日本三大和牛と呼ばれる銘柄牛肉の
日本三大和牛の他にも米沢牛・宮崎牛・飛騨牛・佐賀牛・前沢牛・仙台牛・鹿児島牛などのブランド和牛は、兵庫県内の
但馬牛品評会の様子
2:但馬牛 と神戸ビーフの関係
但馬ビーフの中からさらに厳選された牛肉だけが『神戸ビーフ』と言うブランド名を付けることが許されます。
神戸牛という生きた牛は存在しないことをご存じでしょうか?
神戸の街なかで牛を飼っているのを見たことがありませんよね。
『神戸ビーフ』とは兵庫県産の
兵庫県以外の地域では、他県や海外の牛との交配で品種改良が行われている中、
神戸ビーフのブランドを名乗れるのは、純兵庫県産のお産経験のない
3:A4、A5の神戸ビーフとは
・
・肉質等級【高 5-4-3-2-1 低】肉質が良いものほど等級が高くなる
牛肉のランクは
お肉を選ぶときなどによく聞く『A5』や『A4』など、アルファベットと数字で表したものが牛肉のランクです。
アルファベットが
数字が肉質等級を表しており、霜降りの度合いや色、キメの細かさ、脂の質などを総合評価したランクで、肉質が良いものほど等級が高くなります。【高 5-4-3-2-1 低】
つまり、A5と評価されたものが最高ランクの牛肉ということになります。
さらに、牛肉の価格を決めると言っても過言ではない"霜降り度合い"を12段階で表した数値をBMS値と言い、最高ランクであるA5の中でもさらに『A5のNo12』が最上級の肉質等級となるのです。
当店が取り扱う肥育牛はもちろんA4・A5ランクのお肉です。
『A4 No.6』以上の但馬ビーフに『神戸ビーフ』というブランド名を付けることが出来る。
但馬ビーフ=神戸ビーフなのです。
4:但馬牛 の歴史
豊臣秀吉公大阪城築城の際にも活躍した
豊臣秀吉が建てた、あの大阪城。
1583年の築城の際には全国から力自慢の牛が集められましたが、その中でも小柄ながら力強く仕事をする
但馬地域の山間部で狭い棚田や畑を耕したり、荷物運搬のために飼われていた
夏は豊かな野草を食べ、険しい山道を行き来し、田畑を耕す
そのような厳しい環境、また谷間の閉鎖的な環境で交配が行われていく中で改良が進み、小柄で肉のキメも細かい黒毛和種の元祖が偶然に生まれたのです。
そして雪が3mも積もる但馬の厳しい冬を越すために、エネルギーに変えやすい融点の低いキレイな脂をたくわえることが出来る牛になっていったのだと言われています。
一般的な黒毛和牛の脂が溶け出す温度が約25度であるのに対し、
低温で溶け出す脂はサラサラでマグロの脂に近く、口に入れるとフワッと肉の旨味が広がり肉の甘味を感じます。
5:但馬牛 に人生を捧げた男達
質の良い牛を掛け合わせて血統を整理した前田周助。
名牛『田尻号』を生んだ田尻松蔵。
前田周助
彼は、良い子牛は良い母牛から生まれる確率が高いことに気付き、植物の
そして
また彼は、良い牛を造れば高く売れ、山間の村を豊かにできるという思いを持っていました。
そのために借金をしてまで良い牛を買い求め、血統整理を行ったすえに
そしてその
但馬牛 絶滅の危機
もともとは
県内中を探し回り、ようやく見つけた四頭の純粋種あつた蔓の
この四頭はまさしく
そしてこの4頭を中心に、新しい血統の基礎作りが始まったのです。
田尻松蔵
もう一人、
奇跡的に外国種との交配を免れていた四頭の純粋な
一目でその牛に惚れ込んだ
毎日欠かさず「ふく江」の手入れを行い、良い草を食べさせるために、山を切り開いて草地まで作ってしまうほどだったと言います。
そして、昭和14年「ふく江」の四番目に生んだ子牛が後に名種雄牛となる「
牛を見る眼と日々の努力によって、
田尻号は、種雄牛として使われた12年間で全国に1,500頭近い子牛を残しています。
現在のような人工授精の技術がない時代に、この優れた繁殖力は眼を見張るものでした。
また、肉質に関する遺伝的能力は特段に優れており、世界に誇る和牛肉の原点は、この「田尻号」にあるといっても過言ではありません。
また「田尻号」の功績をたたえて建てられた顕彰碑には、次のように書かれています。
「この名牛が生まれたのは偶然ではない。自然的な要因と、人為的な条件が融合しなければ叶わなかった」と。
平成24年2月、社団法人全国和牛登録協会の調べで、
全国の黒毛和牛の繁殖
つまり、今後生まれてくる日本の黒毛和牛は例外なく「田尻号」の子孫ということになります。